にわオタレビューブログ

にわかなオタクがアニメ、ラノベ、エロゲーなどのレビューをつづります。まったく関係ないこともつづります。

クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん 感想

いつものごとく問答無用でネタバレしますのでご了承くださいませ。

クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん

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物語

ひろし氏の人格をコピーして作られたロボットが、野原一家内で一時はひろし氏の代わりに父親として過ごし、自分が偽物の父親であることを受け入れていくまでのお話。

 

ロボひろし氏としんのすけ氏が生身のひろし氏を見つけるところまで、正直なところなめていました。
ゆえに生身ひろし氏発見シーンでまず抱いたのが「ああ、ひろし氏の人格をロボットに移してるタイプのやつね」という考え。
それじゃここからはロボひろし氏の人格を生身に戻すために奔走していくのか云々……と考えを膨らませていきました。


ところがそんな甘えた考えはすぐに吹き飛ばされます。ロボひろし氏の前で生身のひろし氏があっさりと目覚めたのです。
それまで野原家の父親として作品の中心という立場にいたロボひろし氏が、偽物のひろし氏だった。その事実で、それまでどこかあいまいだった物語の目的が一気に見えてきました。
え、これってそんな物語だったの!? ただただ驚愕するばかり。


この物語はどう考えてもロボひろし氏の死によって収束するわけですが、人格をコピーしただけの存在であっても彼だって正真正銘野原ひろし氏です。ただ肉体が違うだけ。
重い……とんでもなく重い! そんなキャラが自らの死を認めていく展開が怖い!
生身ひろし氏にかけよるしんのすけ氏の残酷さたるや……。

 

 

そして作中三度行われた腕相撲について。いずれも家族としての関係を測るためのメタファーとして扱われています。
その中の最後の腕相撲。てっきり発案の時点で生身のひろし氏にバトンを渡すために行うのかと思いきや、割と本気で生身のひろし氏に向かっている様子だったりします。戦闘でぼろぼろとなり、以前は楽勝だった生身ひろし氏との腕相撲で苦戦するロボひろし氏。


決着にいたるきっかけとなったのはみさえ殿の「あなたがんばって」という一言。明確ではないですが、これは別段生身のひろし氏だけに向けられた言葉ではないと思います。
両者に等しく与えられた激励なのにもかかわらずの決着ついたのは、ロボひろし氏が気づいてしまったから。
自身はしんのすけ氏の父親にはなれるが、みさえ殿の夫にはなれないことに。それが性別を失った肉体の限界であることに。


振り返ってみると、ひろし氏がロボとなったことで一番の拒絶を示したのはみさえ殿でした。受け入れたときも、自らに言い聞かせるよう頑張らなくてはいけませんでした。
自分が愛した男は果たしてこんなロボットだったろうか。拒絶とは葛藤と表裏一体の減少。みさえ殿はここ一番でどうしようもなくただただ女でした。
そう、この映画は……主人公ひろしと、ヒロインみさえの恋愛物語だったのです。

 

キャラ

やはり注目したいのはロボとーちゃんことロボひろし氏。

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家族三人で並ぶ野原家を眺めながらその生涯を閉じることとなる彼。
これまでの作品でどれだけ家族を大切に思っているのか知っているだけに、知らされているだけに、自分の守りたかったものとこのような形で別れなくてはいけないその心境は計り知れません。


どこでボタンを掛け違えたのか。どこでどうすれば彼は幸せになれたのか。いったいどうしたら『野原ひろし』になれたのか。
そんな妄想をついついしてしまうものの、彼が幸せになれる道筋は見つけられそうにはありません。


仮に戦闘でぼろぼろにならずに野原家に受け入れられたとしても、『野原ひろし』が二人いるという状況のいびつさは彼自身が耐えられなくなっていくでしょう。
ロボットに人格がコピーされた段階で、彼は悲劇を生み出すだけの存在でした。

 

総括

親としてではないひろし氏やみさえ氏の掘り下げをしている、いい映画でした。
面白さという観点ではロボひろし氏の葛藤をもう少しわかりやすくしたほうが感極まったかもしれないと思いつつも、そこぼかしていることでロボらしい鈍さを表しているのかもしれませんし、断固として自らが本物のひろし氏であることを譲らない姿勢を示しているのかもしれないので難しい……。


クレしん映画の威力は重々に招致していたものの、まさかクレしんでこんな体験ができるとは。
ちなみに自分はいつもヒロインに『様』をつけるのですが、『みさえ』という記号化にまで至った国民的母親をヒロイン扱いすることにどうしても耐えられませんでした。