にわオタレビューブログ

にわかなオタクがアニメ、ラノベ、エロゲーなどのレビューをつづります。まったく関係ないこともつづります。

あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。 感想

あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。

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あらすじ

宿海仁太は幼いころはガキ大将だったが高校生となった今、家に引きこもっていた。
ある日、幼いころに死んだはずの好きだった少女・本間芽衣子が幽霊として現れる。
芽衣子は仁太にかなえてほしいお願いがあるのだという。
芽衣子の死に後ろめたさを感じていた仁太は、芽衣子の願いをかなえることを決意するのであった。
仁太の行動をきっかけに、バラバラになった幼馴染六人組が今再び集う。

 

 

感想

今更ながらの視聴。
大人になれば誰しもがいろんなしがらみによって不自由になっていきます。
しかしそのしがらみ以上に自らを不自由にしているのは、意外と自分自身の『諦め』が一番大きかったり。
今作で語られるのはまさにそうした『諦め』や『しがらみ』とは無縁だった子供のころ持っていた自由さを取り戻そうということ。
実写ドラマであればおそらくは成り立ちません。いや、成り立つには成り立つでしょうが、古典レベルに使い古されすぎているため、
今の時代やったところで視聴者から支持を得ることは不可能に近いでしょう。
では、アニメならどうなのか。
ドラマで観れば何の変哲もないような人の動きをアニメでやればそれだけで快感になるように、
ファンタジックさが当たり前なアニメだからこそ、ドラマではよく取り扱われている日常の中にある抑圧をむき出しにすることが逆に目新しいものになりえています。

 

しかし、今作ではそのアニメによる日常表現を表現していくうえでかなり手痛い失敗を放置してしまっているように思いました。
ずばり芽衣子の物理干渉による存在証明を自覚していながら、なぜ最初からしなかったのかという点。
作中で芽衣子というキャラの存在は作品の象徴ともいえるくらいに重要です。ゆえに作品の説得力を出していく上で一番おざなりにしてはいけないポイント。
だというのに、仁太が白い目で見られているところも心配そうに見るばかりで己の存在証明を行動で示そうとしない。キャラが見せるべき必死さがとにかく希薄に感じてしまいます。
一応そこの回収をしているつもりであろう「じんたんもめんまもおっちょこちょいだからな!」というセリフがありますが、当然こんな一言で納得させられるような問題の小ささでは断じてありません。

 

こうした失敗が、実写の闘病ものにありがちな『泣けるでしょ?』の押し付けと同列の臭さを醸し出しているように感じます。
最初から芽衣子が物理的になんとかしようとあがいていれば、芽衣子の必死さに説得力がでますし、そこ以外にもいい作用が働いてくれます。
たとえば幼馴染たちが芽衣子の幽霊の存在を認識した時、すごく当たり前のように受け入れてしまって不自然極まりません。
そこを、早い段階で物理接触して、最初はみんな気味悪がって認めようとしなかったけど、秘密基地の筆記で直接言葉を交わしてようやくその存在を認める……など、きちんと芽衣子を受け入れるまでの自然なステップを作ることができたはずです。

 

全体を通してやりたいことは十分に伝わるものの、この作品ならではの要素がおろそかになってしまっているとてもおしい作品でした。
それでも、「凪のあすから」のように女の子たちの想いが報われたところは非常に安心しました。やはり尊い女の子が報われるのはいいですね。