にわオタレビューブログ

にわかなオタクがアニメ、ラノベ、エロゲーなどのレビューをつづります。まったく関係ないこともつづります。

超歌舞伎 感想

超歌舞伎

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いつもとは違った媒体の作品についての感想となります。

 

今回評する超歌舞伎というのは、ニコニコ超会議なるイベントの一コンテンツとなっており、入場した人であれば誰でも観られるようになっています。
ニコニコ動画系イベントということもあってその年齢層は驚くほどに若く、若い人に業界をアピールしていきたい人にとってはこれ以上無い宣伝の場となっているように見受けられました。いや、自分も若いですが。

 

さて、伝統芸能である歌舞伎と最近のキャラクターである初音ミクをコラボレーションさせ、多様な技術を持って表現する今作。自分なんかはこれを観るためだけに超会議というイベントに足を運んだと言っても過言ではありません。
実際、技術的な部分での目新しさに目を引かれるものはありました。
……が、いい作品だったかと問われれば微妙と言わざるを得ません。

 

まず良かった点を述べると、これは超歌舞伎だからというよりもライブ感の強いコンテンツだったからという理由に尽きるのですが、肌を振るわせる迫力ある音。
そして、その音に合わせて天から振ってくる花吹雪。こうした花吹雪が自らの身体に降り注いでくると、その場でコンテンツに自分も参加しているのだと強く実感できて、高揚感に苛まれ、来てよかったという感情が生まれました。
これは超歌舞伎ではなく、ライブに行けば体感できる類いのことでしょう。

 

ここからはつらつらと欠点をあげていくことになります。
まず、実写の役者と3Dキャラを同じ舞台に立たせるために使われていた半透明のスクリーンの見づらさ。
暗い空間の中役者さんをはっきりと見せるために、目映いライティングがステージへと向けられています。
すると、必然的に場が明るくなってスクリーンへ投影している初音ミクが非常に見えづらい。生放送の映像側ではARで合成されてはっきりと見えていたようですが、実際の現場では居ないも同然というほどに見えませんでした。
さらに言えば、スクリーンに役者さんが反射して映り、その映った役者さんとミクの透明度が同じくらいであるため、ミクを存在する役者として見たときに反射して映る役者さんもどうしても意識の中に入ってきてしまう。
それだけでなく、やはり角度がついた席から観たときにミクと役者の立ち位置がやや不自然に見えることも。これもやはり平面の中にキャラを置いている上で仕方ないことではありますが。
こうした点から、役者と3Dキャラを同時に見せようとする技術の観点で、共演はまだまだ不可能な類いの分野であるように思えました。

 

次いで、今作には演技の他にもスクリーンで映像を投影し、その映像の中で物語が進められるパートも存在しています。
中では3D世界でキャラクター達が戦うのですが、3Dアニメという映像のクオリティが非常にひどい。
モデルはいびつ、テクスチャーは荒い、動きは人形のよう、エフェクトは後付け感否めない、コンポジットでなんとか誤魔化している。もしアマチュアが作るイベント故に、ここもアマチュアで作りましたという理由であればごめんなさいですが、もしプロによる仕事であれば憤慨ものの出来です。お金を貰っていいものではありません。

 

そして、これを言ってはどうしようもないのですが、歌舞伎というコンテンツの古さ。
超歌舞伎を観に来る層の大半は歌舞伎というものを観たことがない故に、観る上で必要になってくるお約束というものを知りません。
そのため、この舞台が始まる前に役者さんによってある解説がなされます。
ここぞというところで屋号を叫んで欲しい、今作はこうした設定なのでそれを念頭に観て欲しいといった内容です。
こうした解説と、実際の舞台を観た時に実感できるのは、歌舞伎とは『気遣い必死』のコンテンツなのだということ。
正直、上記のような歌舞伎パート以外の部分に数多の不満を持っていた身の上ではありますが、それでも歌舞伎パートこそが最もつまらなかったことを断言します。
娯楽にあふれた今の時代、何を言っているのか考えてひもとかなくてはいけない台詞の数々。見世物感丸出しのアクション。こうしたものを驚き、憧れ、受け入れるにはあまりにも時代が悪い。
驚けないですし、憧れることができません。だって事実として他の媒体のコンテンツと比べてしょぼいですから。
それゆえ、大声を張り上げて屋号を叫ぶほどの高揚を得ることもできない。
そもそも、最初に設定を念頭に入れておかなくてはいけないといったあり方も、今時のユーザーにマッチしていません。
わかりやすく、考えることなく。アニメを観ている層なんかは顕著にその傾向にありますよね。
そんな時代に数多の気遣いを必要とする歌舞伎は合致していない。
昔から大衆娯楽として世の人々を楽しませてきた、というのがこのコンテンツの成り立ちだといいますが、それは他に娯楽がなかったからこそ成り立っていたあり方なのでしょう。

 

話運びも粗雑で、理由付けがあまりにも乏しい。
そもそもハッピーエンドものの展開として、一番未来のキャラが死んだままになっているのはいかがなものなのか。

 

と、色々愚痴らせていただいたわけですが、その割に超歌舞伎は好評だったと言います。
それはなぜか。

 

理由は実に単純です。
単に目新しいからです。コメントなど、周囲に自分以外にも共に盛り上がれる存在がいるからです。
伝統芸能という未知があちらからやってきたから一過性の興味を持った。
目新しいから評価基準が整っていない上、伝統芸能だから悪いものではないだろうという思い込み。
そして流行曲での強引な盛り上げ。
そうしたガワにしか目が行かない層へのごまかしが上手く絡み合って、異常な高評価を得たのではないかというのが自分の推測となります。

 

故に。
歌舞伎というものを今時の人々にもっと知らしめることが出来たとすれば、そのときこそ目新しさなどのフィルター無く、明確に歌舞伎という時代錯誤なコンテンツの終焉を意味するように思えてなりません。

 

総合するまでもなく、大変クオリティの低い見世物でした。