にわオタレビューブログ

にわかなオタクがアニメ、ラノベ、エロゲーなどのレビューをつづります。まったく関係ないこともつづります。

タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密 感想

タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密

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新作であまり観たいものが無かったために、久々にTSUTAYAへと赴きました。
手に取ったのは以前劇場で観たこともある今作、タンタンの冒険。
キッズコーナーにあったのですが、プリキュアアンパンマンのようなかわいらしい作品の中でこの表紙はある種の異彩を放っていました。
ある意味キャッチー。
でも果たして、あのコーナーに置いてこれを手に取るキッズや親御さんは居るのだろうか……。

 

さて、ここからは内容についてです。
さすがはスピルバーグ監督作品。これ以上無い安心感で腰を落ち着けて観ることが出来ました。
特筆すべきは、やはり演出の妙。
鏡の反射で、ガラスの反射で、水滴の反射で、光と影のシルエットで――
ETやジュラシックパークなど、他の名作の数々の中でも見せてきた『中々見せない』というカメラワークが圧倒的なエンターテインメント力となって観る者の心を鷲づかみにして作中世界へと引きずり込んでいく様はまさに圧巻です。

 

繰り広げられるのは代々続く船長家系のキャラと、因縁のある海賊の子孫の戦い。
始まった段階ではそんな話だとは思えないほどに遠く、なぜ帆船を求めるのか。なぜさらわれたのか。そういった謎を解き明かすミステリーパートから展開されていきます。
明確な敵と競い合う構造で、テンポが非常に良く、やはり観ていて飽きることはありません。
そして、すべての謎が解き明かされれば終わるのかと言えばそうでもない。
そこから、まさに因縁のあるキャラ同士が殴り合いなどではない、ロボットバトルのようなスケールでバトルを始めたりと、よくぞこの世界観でここまで盛り込めたものだとただただ感心するばかりです。
映画的表現の博物館にでも行ったかのような満腹感が得られました。

 

良質な映画体験をしたければ、是非にこの一本は観ておきたい作品だと胸を張って言えるようなものでした。

殿、利息でござる! 感想

殿、利息でござる!

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漫画原作などを除いて、久しぶりの邦画となります。
良くは無かったけど、悪いって程でも無かったという、それなりな作品でした。

 

お金を集めるまでの苦労、そしてお上に借金を認めさせるまでの苦労を描いた今作。
前半部分はこの作中に登場する村社会なりの金の貸し借り騒動を目新しい視点で観ることができて、素直に楽しめました。
利息で楽が出来るんじゃ無いか、という発想を主人公が後に引けなくなるくらい周りで勝手にどんどん盛り上がっていってしまう流れのギャグなんかも、今作にとてもマッチしており、ニヤつかせて貰いもしました。

 

そういった駆け出しの部分は本当に良かった。
それだけに後半があまりにも惜しいです。
実話をベースにしているがゆえにと言われればそれまでですが、
後半で語られるお上に借金を認めさせる問題の解決があまりにも偶然すぎるのです。
確かに、かのおじいさんが銭を貯めていたという伏線はあるにしても、そこと主人公達の苦労が離れすぎているために真実がどうあれ物語として納得ができない!

 

何より、そうして偶然見つけた後付けの理由で解決に至ることに対して、主人公達自身もまるで最初から自分たちも彼の意思を引き継いで行動してきたんですよ然とした顔をしており、なおかつそれを正当化する流れがやはり納得をさせてくれません。

 

自己犠牲や因縁という劇薬的要素を加える事にはいいとは思うのですが、劇薬であるだけに扱い方を誤ればこうも臭くなるのかと改めて実感しました。

Re:ゼロから始める異世界生活 感想

Re:ゼロから始める異世界生活

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異世界生活系作品の中でも一際硬派に作られた、読み応えのある作品であるリゼロ。
とうとうアニメ化に至りましたね(今更)。
異世界ものを好むライトな層とは違うところにターゲットがあるため、やはりアニメでは賛否両論あるようです。
ひとまずweb小説、MF文庫、アニメ七話まで見た段階での総合的な感想となります。

 

異世界の中でタイムリープがあったら、という発想の話というのは今までにありそうで無かった今作。
まず目を惹くものと言えば、他の異世界ものではメタ発言や安易な神様設定によってなぁなぁになりがちな、『異世界に飛ばされた理由』がしっかりと物語の中心に絡んでいる点でしょう。
おかげで作品全体に重厚感が生まれ、どのセクションに至っても説得力のある展開を安定して生み出して行けている印象です。
理由付けの大切さというものを痛感させられますね。

 

死んでタイムリープをすること以外に肉体的にも知能的にも、特殊技能的にも一切恵まれていない主人公が物語を薦めるに当たって、やはり周囲の人に積極的に頼らなくてはいけない状況へと追い込まれていくところなんかも個人的にいいなと思いました。
戦力的に優れている奴らを絡めなくては、目標が達成できない。ゆえに目標を達成するためにどのような方法で戦力を集めようかと考えるのが今作の転がり方のセオリー。
そのため凡人視点で凡人なりの努力で、ぎりぎり叶えられそうなポイントを通っていく展開が毎度熱いことこの上ありません。
惜しむべくは最初のエミリアとの出会いの話で、決着に至った戦力を引っ張ってきたのがフェルトの側を偶然通りかかったラインハルトだったという点でしょうか。
さすがにそこは必然が欲しいと思いはするのですが、当時の主人公の中にあるラインハルトの認識を考えるとこのぐらいのバランスになっても仕方ないのかもしれませんが……。

 

そしてここからが欠点の話。
エミリアとの出会いの話とロズワール邸での話は短くまとめられているのですが、この作品は各セクションがとにかく長い。
これはweb小説という媒体であれば多かれ少なかれ良くある事のようにも思えるのですが、今作は他の(アニメ化に至った)web小説には無い特徴を持っています。
その長いセクションの中で日常シーンで間延びさせるようなことはほぼしておらず、その大半でしっかりと物語を綴り上げているという点。
ここまでしっかり物語を書き上げるわけですから、作家さんの根性たるや並々ならぬものがあるところは強く実感します。
それでもやはり長い!
一つの目的を達成するために必要なことが非常に多すぎるんです。
難関であればあるほど盛り上がるのはわかるのですが、それにしたって限度があります。
おかげで、最初に定義された目的を途中で何のためにキャラ達が頑張っているのか忘れてしまうこともしばしば。最初こそ短くまとまっている話だからどうにかなっているものの、この先の展開を思えば間違いなくアニメ化には向かない類いの作品である事が断言できます。

 

その一方で、ここまで丁寧にキャラクター一人一人に焦点を当てて冗長と思えてしまうほど描いていけるのもまたweb小説の魅力なのかもと考えれば、何が正しいなどは一概に言えないような気がしないでもないと悩む今日この頃。
いやしかし、人に読んで貰うことを前提としているならやはり、もう少しまとめた方がいいのかもしれないですね。

 

とは言え、その冗長さを除いても十分すぎるほどに面白いと言える作品だと思います。

 

甲鉄城のカバネリ 感想

甲鉄城のカバネリ

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四話放映現時点での総合的な感想となります。

 

今更自分などがどうこう言うまでも無く、大変素晴らしい作品ですよね。
一話一話を観る度に来週の放映日が楽しみになって仕方ない。これぞ正しいアニメのあり方と言えるでしょう。
最近のアニメでは中々体験することの出来なかった類いの感情です。
しかし、はて。
この感じ……どこかで実感したことがあったような気がする。

 

それもそのはず。
脚本家はかのコードギアスを担当された大河内一楼さんというではありませんか。なるほど、それならこのエンターテインメント力にも納得です。

 

さて。ここからは内容について触れていきたいと思います。

 

人間が捕食される側として描かれている本作。
進撃の巨人でもそうでしたが、アニメや漫画でそれを描くことは嫌悪感を抱かせられると共に、怖い物見たさでどうしても惹きつけられてしまうキャッチーさが伴っています。
バイオハザード同様に、粘膜的な接触で自らも捕食する側へと行ってしまうという要素によって、カバネなる存在と接触することは人々にとって忌避の対象となってしまうという設定が、仮面ライダー的な設定との相乗効果をもたらし、ほどよくストーリー展開を転がしていく様が本当に見事だと思わされました。

 

いつの時代も鑑賞者の心を揺らすのは、キャラ達が極限状態に見せる強さの輝き。
近年の作品は圧倒的強者の視点で語るものであったり、コミカルに誤魔化して語るものであったり、そうした極限状態の魅力を体験できる作品の乏しさに頭を抱えるものがあります。

 

そうした点についても、今作は見事に魅せてくれました。
主人公である生駒が大変な熱血漢なのです。
秀逸なのはそのバランス。熱血がすぎればただのうざいキャラ。
ところが彼は無名による突っ込みや、たくみとの絡みによって愛すべきバカという絶妙なラインがキープ出来ている。
その上でピンチな状況下で彼が持ち前の熱血っぷりで敵を圧倒する姿にはひたすらに感嘆の言葉ばかりが浮かびました。

 

などなど、内容の素晴らしさもさることながら。
そのルックにだって目を見張るものがあります。

 

さすが進撃の巨人を担当した監督が監修しているだけあって、戦闘シーンは動く動く。
壁をも蹴り上げて立体的な戦闘を繰り広げる様はまさに圧巻。
オープニングでの大きくカメラを周りこませながらの立ち回りにも驚きましたが、そのレベルを本編でも叶えてしまっているところが素晴らしいです。
主題歌も印象的で、一体何度オープニングを見直したことか。

 

アニメの時代が帰ってきたという喜びもありますが、たったワンクールで終わってしまうことが、あと八話で終わってしまうことが悲劇としか言いようがありません。
こうしたアニメがもっとたくさん生まれて欲しいと思うのは当然ですが、残念ながら物語性の強いコンテンツというのはキャラクター性の強いコンテンツよりも儲けることがしづらいというのもまた事実。
いいものを作ったら報われる世の中であって欲しいと願う今日この頃でございます。

超歌舞伎 感想

超歌舞伎

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いつもとは違った媒体の作品についての感想となります。

 

今回評する超歌舞伎というのは、ニコニコ超会議なるイベントの一コンテンツとなっており、入場した人であれば誰でも観られるようになっています。
ニコニコ動画系イベントということもあってその年齢層は驚くほどに若く、若い人に業界をアピールしていきたい人にとってはこれ以上無い宣伝の場となっているように見受けられました。いや、自分も若いですが。

 

さて、伝統芸能である歌舞伎と最近のキャラクターである初音ミクをコラボレーションさせ、多様な技術を持って表現する今作。自分なんかはこれを観るためだけに超会議というイベントに足を運んだと言っても過言ではありません。
実際、技術的な部分での目新しさに目を引かれるものはありました。
……が、いい作品だったかと問われれば微妙と言わざるを得ません。

 

まず良かった点を述べると、これは超歌舞伎だからというよりもライブ感の強いコンテンツだったからという理由に尽きるのですが、肌を振るわせる迫力ある音。
そして、その音に合わせて天から振ってくる花吹雪。こうした花吹雪が自らの身体に降り注いでくると、その場でコンテンツに自分も参加しているのだと強く実感できて、高揚感に苛まれ、来てよかったという感情が生まれました。
これは超歌舞伎ではなく、ライブに行けば体感できる類いのことでしょう。

 

ここからはつらつらと欠点をあげていくことになります。
まず、実写の役者と3Dキャラを同じ舞台に立たせるために使われていた半透明のスクリーンの見づらさ。
暗い空間の中役者さんをはっきりと見せるために、目映いライティングがステージへと向けられています。
すると、必然的に場が明るくなってスクリーンへ投影している初音ミクが非常に見えづらい。生放送の映像側ではARで合成されてはっきりと見えていたようですが、実際の現場では居ないも同然というほどに見えませんでした。
さらに言えば、スクリーンに役者さんが反射して映り、その映った役者さんとミクの透明度が同じくらいであるため、ミクを存在する役者として見たときに反射して映る役者さんもどうしても意識の中に入ってきてしまう。
それだけでなく、やはり角度がついた席から観たときにミクと役者の立ち位置がやや不自然に見えることも。これもやはり平面の中にキャラを置いている上で仕方ないことではありますが。
こうした点から、役者と3Dキャラを同時に見せようとする技術の観点で、共演はまだまだ不可能な類いの分野であるように思えました。

 

次いで、今作には演技の他にもスクリーンで映像を投影し、その映像の中で物語が進められるパートも存在しています。
中では3D世界でキャラクター達が戦うのですが、3Dアニメという映像のクオリティが非常にひどい。
モデルはいびつ、テクスチャーは荒い、動きは人形のよう、エフェクトは後付け感否めない、コンポジットでなんとか誤魔化している。もしアマチュアが作るイベント故に、ここもアマチュアで作りましたという理由であればごめんなさいですが、もしプロによる仕事であれば憤慨ものの出来です。お金を貰っていいものではありません。

 

そして、これを言ってはどうしようもないのですが、歌舞伎というコンテンツの古さ。
超歌舞伎を観に来る層の大半は歌舞伎というものを観たことがない故に、観る上で必要になってくるお約束というものを知りません。
そのため、この舞台が始まる前に役者さんによってある解説がなされます。
ここぞというところで屋号を叫んで欲しい、今作はこうした設定なのでそれを念頭に観て欲しいといった内容です。
こうした解説と、実際の舞台を観た時に実感できるのは、歌舞伎とは『気遣い必死』のコンテンツなのだということ。
正直、上記のような歌舞伎パート以外の部分に数多の不満を持っていた身の上ではありますが、それでも歌舞伎パートこそが最もつまらなかったことを断言します。
娯楽にあふれた今の時代、何を言っているのか考えてひもとかなくてはいけない台詞の数々。見世物感丸出しのアクション。こうしたものを驚き、憧れ、受け入れるにはあまりにも時代が悪い。
驚けないですし、憧れることができません。だって事実として他の媒体のコンテンツと比べてしょぼいですから。
それゆえ、大声を張り上げて屋号を叫ぶほどの高揚を得ることもできない。
そもそも、最初に設定を念頭に入れておかなくてはいけないといったあり方も、今時のユーザーにマッチしていません。
わかりやすく、考えることなく。アニメを観ている層なんかは顕著にその傾向にありますよね。
そんな時代に数多の気遣いを必要とする歌舞伎は合致していない。
昔から大衆娯楽として世の人々を楽しませてきた、というのがこのコンテンツの成り立ちだといいますが、それは他に娯楽がなかったからこそ成り立っていたあり方なのでしょう。

 

話運びも粗雑で、理由付けがあまりにも乏しい。
そもそもハッピーエンドものの展開として、一番未来のキャラが死んだままになっているのはいかがなものなのか。

 

と、色々愚痴らせていただいたわけですが、その割に超歌舞伎は好評だったと言います。
それはなぜか。

 

理由は実に単純です。
単に目新しいからです。コメントなど、周囲に自分以外にも共に盛り上がれる存在がいるからです。
伝統芸能という未知があちらからやってきたから一過性の興味を持った。
目新しいから評価基準が整っていない上、伝統芸能だから悪いものではないだろうという思い込み。
そして流行曲での強引な盛り上げ。
そうしたガワにしか目が行かない層へのごまかしが上手く絡み合って、異常な高評価を得たのではないかというのが自分の推測となります。

 

故に。
歌舞伎というものを今時の人々にもっと知らしめることが出来たとすれば、そのときこそ目新しさなどのフィルター無く、明確に歌舞伎という時代錯誤なコンテンツの終焉を意味するように思えてなりません。

 

総合するまでもなく、大変クオリティの低い見世物でした。

ズートピア 感想

ズートピア

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あらすじ

人間以外の哺乳類がまるで人間のように暮らす近未来都市、ズートピア。そこに警察官になる希望をもって、田舎からウサギのジュディが上京してきた。首席で卒業して晴れてウサギ初の警察官となるが、配属先の警察署の署長の水牛のボゴからは実力を認めてもらない。そんな中ジュディは、詐欺師のキツネのニック・ワイルドと出会う。
町では相次いで肉食動物が行方不明になる事件が発生していた。ジュディは、ボゴにしつこく行方不明の事件への参加を志願し、ボゴは48時間の限定で許可をする。ただし解決できないときは、職を失うという条件で。

 

感想

二日目にして、客入りはそこそこといった印象でした。
ディズニー作品でさえこうなのですから、やはり人々の間から映画という娯楽が忘れ去られて行っているような寂しさを感じざるを得ません。

 

さて、内容ですが……最ッッ高でした!
ズーロと比較して、CMなどの段階で非常にキャッチーなところに好印象。
動物たちの織りなす見たこともないファンタジックな世界を絵としてバンと出すだけで、一気に引きつけられてすんなりと映画館へ足を運ぶことができました。
そしてそれは作中冒頭でジュディがズートピアに足を運ぶ一連のシーンで圧倒的なディズニークオリティを持って堂々と突きつけられます。
アメリカの中で様々な文化を持った地域があるように、ズートピアも色んな動物の文化があり、地域ごとに異なった文化を持った街に分かれており、まるで海外旅行でもしているような高揚感を得ることができました。

 

展開は一本気王道なディズニーにしては珍しい(最近のディズニー的傾向?)などんでん返しに次ぐどんでん返し。
ある事件があり、ある事件には裏の真相があり、裏の真相を牛耳っていたボスがおり、そのボスの裏にはさらに真のボスが――といった具合に、何重にも張り巡らされたミスリードが次の展開を期待させ、常に飽きなくハラハラドキドキと画面に釘付けにさせられます。
最近のディズニーはどんでん返しをするにしても唐突であったりやや強引さの否めない持って行き方だったのに対して、今回は一つ一つを丁寧に積み立てていたため、かなり綺麗にまとまっており、レベルの高い脚本を体験することができました。

 

個人的に革命だと思ったのは、ジュディが狐のニックに安堵して泣きつくところ。
そういったシーンは今までにも色んな作品でありました。
しかし、今作の泣きつきはそういった数多ある作品とは一線を画していました。
萌えです。
萌えがあったのです。
それまで意識高い系としてアクティブに活動してきたジュディは見た目こそ可愛いウサギですが、やってることは鬱陶しい女。
しかし、様々な失敗を経て自らの過ちを認め、口を利いてくれないニックに縋りつく。
まだです。まだここまでならただの一ディズニーキャラクター。
ここで、ジュディはニックの胸に静かに頭をこすり、言葉なくうなずき、至福の表情を浮かべるのです。
萌えキタ─wwヘ√レvv~(゚∀゚)─wwヘ√レvv~─!!
正直深夜アニメの女の子の百倍萌えました。
深夜アニメの彼女たちは、あまりにも露骨に媚びすぎている。というか口で説明し、どこかで見たことのあるような仕草しかしない。まるで工場で量産されているメロンパンのよう。違いがわかりません。
しかしこのように、言葉ではなく仕草や表情などの演技で見せつけてくる演出はどこか日本的なわびさびがあり、ほんのりと心に染み渡り、非常に説得力のある萌えを実感させられます。
ディズニーが萌えを武器にしてきたのです。

 

作中の面白さも素晴らしかったですが、特筆すべきはエンディングムービー。
作中でスターとして登場してきたキャラのライブという形で主題歌が歌われ、キャラ達が観客として踊っています。
広い空間で薄暗く、カラフルなライティングが成されている様はエンターテインメントショー感満載で、単体でも一つの作品として成り立ってしまうのではないかと思えてしまうほどのクオリティでした。というか、こういうCGキャラのショーを見たい! 初音ミクのライブに人が集う理由が理解できたような気がします。

 

夢は信じ、努力し続ければ叶うんだ。
そういったディズニーが今まで唱え続けてきたメッセージを今作では真っ向から否定してしまうところも魅力の一つ。
叶わないものだってある。だから、そのことといかに向き合っていくのか……といった、より現実に即したただの夢物語から脱却した今時の人の心を打つようなメッセージを持っていました。
しかし、そこがこの映画唯一の欠点と言ってしまえるかもしれません。
上記で述べたメッセージは本当に文字通り、作中でキャラクターが登壇といった形で口に出して言いはするものの、今作は結局主人公は夢を叶えるために努力し、最後は最初に望んでいたとおりの夢をしっかりと叶えてしまっているためです。
言葉と行動が矛盾しているのです。
メッセージを表現したいなら、仲間との役割分担を許容する主人公になるといった成長を遂げるべきでしょうし、映画に沿ったメッセージにするなら、いつも通り『夢は努力すれば叶う』でいいんじゃないかなぁと、思ってしまいます。

 

とは言え、全体のクオリティはやはりすさまじい。
正直、ピクサーのアーロと少年よりも圧倒的によい作品でした。
名作です。

クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃 感想

クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃

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あらすじ

ある日、双葉幼稚園に謎の少女・貫庭玉サキが引っ越してくる。
時を同じくして春日部市民達の見る夢に大きな異変が起きた。
みんながユメミーワールドという同じ夢を見るようになったのだ。やがて楽しい夢が奪われ、ユメミーワールドの外にある悪夢の世界で恐ろしい事態に巻き込まれてゆく市民たち。次第に悪夢しか見れなくなる人が増え、その影響で現実世界も混乱に陥る。

 

感想

クレしん映画といえば、昔こそ名作の連発だったものの途中から失速してしまったイメージが定着しております。しかし、最近はロボとーちゃんなど魅せる映画をもしっかり打ち出してきており、勢いを取り戻してきました。
そして気になる今作。先行上映の評判も上々で、期待に胸を膨らませて行って参りました。

 

内容は、かなりよかったです。
クレしん映画では珍しいほどに奇をてらわない、非常にシンプルな作品となっていました。鑑賞後の感覚はクレしん映画というよりもポケモン映画のそれに近い印象。
映画オリジナルキャラの少女の扱いも、映画ポケモンのメインポケモンそのものです。
そのキャラにまつわる事件が起き、そのキャラの心理的葛藤を乗り切り、問題を解決するような構造。

 

夢の中を題材にした世界観も相成って共感性が強く、大変観やすかったです。
『夢』という設定があることで、キャラクター達が嬉しいと思うこと、辛いと思うことがこれ以上無い形ではっきりと表現されるため、その時その時の心情描写が必然的に丁寧になるところが上手い、と唸らされました。

 

子供の持ったトラウマがいかに大きく心をむしばむものなのか、という割と重いテーマでありながらも、クレしん色で親子の絆、友情を語らい、ライトに楽しむことが出来ます。
世界観ならではのギャグとして子供の夢の発想力は大きく、大人の夢の発想力は小さい、などの皮肉に思わずにやりとさせられ、かと思えば大人でも子供のような発想力を持つことができるのだという展開に、ありがちながらも素直に感心させられます。

 

途中から提示されていた悪夢を食らいつくすバクなる存在ですべてを解決するのではなく、きちんとサキの抱えた心の闇に対しての向き合いも誠実に行われている点で、大人が見ても楽しめる作品だという印象を受けました。

 

ちなみに、今作は夢という題材の性質上舞台がずっと春日部です。
懐かしの春日部市民達も大勢登場し、ギャグの流れも非常にクレしんらしくて自然に笑みをこぼしてしまいそうなものばかり。
今までのシリーズの中で初めてクレしん映画として正当派なものが出てきたなぁというのが自分の感想です。